2021-06-09 第204回国会 参議院 憲法審査会 第5号
安岡正篤先生風に言えば義命であるということかと思います。 船田先生は、いわゆる政治改革にも関与された御経験をお持ちですね。日本では、こうした国民代表原理と政党の党議拘束に縛られる国会議員との間の矛盾相克、こういうことを全く議論しないで政党中心主義の選挙制度をつくり、政党助成金をつくり、やっちまった、そういう経緯がございます。
安岡正篤先生風に言えば義命であるということかと思います。 船田先生は、いわゆる政治改革にも関与された御経験をお持ちですね。日本では、こうした国民代表原理と政党の党議拘束に縛られる国会議員との間の矛盾相克、こういうことを全く議論しないで政党中心主義の選挙制度をつくり、政党助成金をつくり、やっちまった、そういう経緯がございます。
また、私の地元である埼玉県嵐山町にも、日本農士学校を開いた安岡正篤先生がいらっしゃいました。総理大臣を経験された多くの政治家や経済界の方たちが集い、教えを受けていらっしゃいました。 吉田松陰も安岡正篤先生も、志を、そして夢を抱いて集まった多くの人たちに、熱意を持って教育を行ったと思います。教育は、その国の発展の源であると考えています。 安倍総理も長州の魂を受け継ぐ政治家であると存じます。
この意味を安岡正篤先生の本で私も知ったわけでありますけれども、この意味を知ったときは目からうろこでございました。今総理おっしゃったように、もともとは、木の上に登って遠くまで見通すことができる、視野広く将来を見通すことのできるリーダー、これが相ということでございます。
もともとは、語源は木の上に目ということでございますので、これはかつて安岡正篤先生の本で読んだ記憶がありますけれども、要は、高いところから遠方を見ながら判断をしていく、遠い未来をしっかりと見詰めながら困難を乗り越えて物事を判断するというのが、いわゆる相、大臣の役割であり、平の相国だったら、国全体を、遠くを見通しながら判断をする、そういう意味と理解をしています。
私は、陽明学者の安岡正篤先生の著作も随分多く読ませていただいた一人だと自負をいたしておりますけれども、この安岡先生がおっしゃられる「思考の三原則」というものがございます。第一原則は、目先にとらわれず、長い目で物事を見ること。第二原則というのが、一面だけを観察しないで、多面的、総合的に観察をすること。第三原則というのが、枝葉にとらわれず、根本においてその問題をとらえること。
○鴨下国務大臣 小野先生がおっしゃるような安岡正篤先生のようなことは我々にはなかなかできないわけでありますけれども、今おっしゃっていた、目先のことにとらわれるな、あるいは一面だけを見るな、さらには枝葉にとらわれずに根本においてその問題をしっかりと見定めろ、こういうようなことは、これはまさに、特に地球環境の問題においては重要な観点だろうというふうに思います。
安岡正篤先生もよく言われたことですが、宗教なき道徳はなく、道徳なき宗教はないとよく説かれました。教育においては、道徳は、言うまでもなくすべての教科の根底に流れるものであり、すべての教師が指導できなければならないものであります。だから、あえて道徳の教員免許はございません。宗教なき道徳がないとしたら、教員が道徳を指導するときに宗教に関する一般的な教養は必要不可欠であると思います。
最後になりましたが、ところで、日本の戦前、戦中、戦後、思想家でありながら行動で示してこられた人物、今余り思想家というのははやりませんが、安岡正篤先生でありますが、自民党としましても、歴代総理の指南番だ、こういうことで、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、今おいでになります中曽根康弘先生など、最高の指導者がいろいろ意見を伺ったと言われております。
○中川国務大臣 安岡正篤先生の今のお言葉は、余りにも重たく意味深いものでございますから、正直言って全部今お聞きしても理解できない部分がございましたけれども、本当に弱い者、困っている者に対して、頑張れ、支援をしろという御趣旨の流れの中での安岡先生のお言葉の御引用だと思います。
歴代総理の指南役安岡正篤先生、私の郷里は広島でありまして、その広島の大先輩でもあります。池田勇人先生を初めとする自民党の歴代総理の指南役でもあったわけですけれども、宏池会の名づけ親ということでも有名であります。 その安岡正篤先生が、道というものについて次のように述べていらっしゃいます。
「為政三部書」というのがございますが、これは安岡正篤先生の記念館の理事長の正泰先生が分かりやすくお書きになっておりますが、この中に「応変」というところがございまして、「事機の発するや常有り変有り。常なる者は中人之に処して而て余有り。変なる者は上智と雖も亦足らざる所有り。」と。
(拍手) 私は、二十歳代の後半に、天下の碩学、安岡正篤先生のお話を伺う機会に恵まれたことがありました。そのとき、安岡先生から伺って、深く感銘を受け、私の人生の道標となった二つのお話があります。 一つは、「任怨分謗」という教えでありました。「大きな仕事をやろうとする時には、決まって誰かの怨を買う。だが、怨を気にしていたんでは仕事をやれない。そんなときは敢えて怨を受けるべきである。
それを読ませていただいていたときに感じましたのが、陽明学の大家でございます安岡正篤先生が「思考の三原則」ということを言っておられるのでありますが、世の中が混乱すればするほど、変化が激しければ激しいほど、私たちは原理原則を大事にしなければならない、それについては三つの点に留意すべきだということで、一つは、目先にとらわれず長い目で見ること。
(拍手) 私が尊敬する安岡正篤先生は、「道徳的気魂の喪失、困難への直面を嫌う気風、対立する勢力間をうまく渡ろうとする打算、これが国家滅亡の前兆である」と言われております。 現今の橋本政権の運営ぶりを見るに、国家国民のため、憂えざるを得ないのであります。 「一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ。賢者はその身の亡ぶを悲しまずして、その国の衰うるを憂う」と言うではありませんか。
「骸骨を乞ふ」、私も実は安岡正篤先生には生前に何度か直接御薫陶を受けて心酔している者でございますが、この言葉は初めて聞きました。まさしく公職にある者の倫理観、これはもう本当に高いものでなければならないとみずからも戒めております。 しかし、考えてみれば、この大蔵省のことについても、例えば金融関係、もうすべてこれは規制の世界でございました。
こうした世界、国家の重大な転機に臨み、私は、碩学故安岡正篤先生の言葉を思い起こします。すなわち「凡そ国家の敗は私より起こる。一体の志、社稷にあれば、私ありというとも亡びず。一体の志、私にあり、飾るに社稷を以てすれば敗る」であります。今後とも、常に国家国民を考え、精進を重ねたいと念願しております。
○月原委員 安岡正篤先生がことしのえとについてこういうふうに申されていたそうであります。ことしは、つちのとみだ。「今迄伏在していた色色な問題が表面に出て活動する事を表示している。
任用令ということを、これは安岡正篤先生がかつてこういうふうに説明したお話を私も伺ったことがある。これは中国に起源があるでしょうけれども、任用ということは非常に大事なことで、行政の根本である。しかしその根本は任用というのは、字はちょっと逆さまになっておりますけれども、用いて任せるということだ。